1939年、アメリカの考古学者が飛行機からペルーのナスカ地方に広がるユニークな地上絵を発見しました。
これらの地上絵は、暗赤色の乾いた土地に描かれており、200以上に及びます。
後に世界遺産に登録されたこれらのナスカの地上絵は、およそ2000年から3000年前に描かれたと考えられています。
しかし、なぜこれらが長い間保存されているのか、その秘密に迫ります!
ナスカの地上絵:なぜ消えない?
ナスカの地上絵がなぜ消えないのか調べたところ『降雨量の少なさ・霧が発生する気候状況・独特な構造とその耐久性・野生動物が付近に生息していない・ドイツ人研究者による地上絵の保護活動』という理由が考えられます。
奇跡的に複数の要素が重なることで、数千年ものあいだ、その形状を保っていたようです。
これらの理由について、更に詳しくご紹介します!
①降雨量の少なさ
ナスカの地上絵の持続性に大きく影響している要因の一つは、この地域の非常に低い降水量です。
年間降水量は約4mmと極めて少なく、そのためこの地域は広大な砂漠地帯で、木もほとんど生えていません。
砂漠と聞くと一般的には砂だけのイメージがありますが、ナスカの砂漠は土や岩、石が混在する特殊な地形をしています。
もしナスカ地方に多くの雨が降っていたら、これらの地上絵は現在まで残っていなかった可能性が高いです。
しかし、近年の気候変動により、この地域の雨季の降雨量が増加しており、ナスカの地上絵の保存状態に影響を与えているという報告もあります。
②霧が発生する気候状況
ナスカ地域における雨が少ない現象の原因は何でしょうか?
自然界では、雨・雲・海・川などが水循環サイクルを形成しています。
ナスカ地上絵が存在する地域は太平洋から約50kmの距離にあります。
一般的に、海から蒸発する水蒸気が雲を形成し、その後雨となって降るプロセスがありますが、ナスカ地域は砂漠気候と高い上空の気温(900mの高さで23℃)のため、雨雲が形成されることがなく、上昇気流も生じません。
この結果、水蒸気は霧としてナスカの地面を覆います。
この細かな霧が地面を固めることで、地上絵が消えにくくなる一因になっているのです。
地面に含まれる石膏成分(硫酸カルシウム)が霧と反応して地面をさらに固めます。
また、この地域では夜間の気温が10℃まで下がることもあり、この大きな気温差が地面のラインをさらに強化する役割を果たしています。
③独特な構造とその耐久性
ナスカの地上絵は、表面の小石を取り除くことで描かれ、その下にある白い石灰質の土が露出しています。
この石灰質の土は霧と反応してセメントのように固まり、風化に強い特性を持っています。
さらに、表面の小石が長年にわたって太陽の光を浴びることで酸化し、黒く変色しています。
これによって、白い土とのコントラストが際立ち、地上絵がより明瞭に見えるようになっています。
④野生動物が付近に生息していない
ナスカの地上絵には鳥やアルパカ・サル・クジラなど様々な動物が描かれていますが、これらはナスカ地方に生息していたわけではなく、他の地域との交流の象徴とされています。
ナスカ地方自体は人々の居住地に近いですが、野生動物が地上絵を損傷するほど頻繁に活動することはありませんでした。
そのため、多くの地上絵が現在まで保存されることができました。
⑤ドイツ人研究者による地上絵の保護活動
20代でナスカの地上絵に魅せられたドイツの数学者マリア・ライへと彼女の妹は、ナスカの地上絵の研究と保存・修復に私財を注ぎ込みました。
彼女たちは地上絵が損傷しないよう定期的なメンテナンスを行い、遠くからでも観察できる展望台の建設にも貢献しました。
マリア・ライへ亡き後、彼女の意志を継ぐドイツの研究者たちがこれらの保護活動を続けています。
こうした取り組みが、ナスカの地上絵が今日に至るまで失われずに残っている重要な理由の一つとなっています。
ナスカの地上絵が作られた目的は?
ナスカ文化における壮大な地上絵の制作目的は何だったのでしょうか?
この問いは、考古学界で長年にわたって議論されてきた大きな謎の一つです。
世界各国の考古学者たちは、この謎を解き明かすために今も研究を続けています。
ナスカの地上絵が作られた目的に関する『仮説』をいくつかご紹介します。
雨を呼び寄せる儀式
ナスカの地上絵が雨乞いの儀式に関連しているというのは、最も有力な仮説とされています。
ナスカ地方は降水量が極めて少ない地域であり、住民にとって雨は農業を支える貴重な資源でした。
雨を祈る雨乞い儀式は、この地域の古代住民にとって非常に重要な役割を果たしていたと見られています。
地上絵に描かれた「クモ」の図は、雨を象徴するものと考えられています。
また、地上絵近くで見つかったエクアドル原産の貝は、雨乞いの儀式で使われていた可能性があるとされています。
地上絵が一筆書きであることは、儀式での楽隊のルートとしての機能を持っていたことを示しているかもしれません。
農業や水の儀式
ナスカ時代は農業が盛んであり、アンデス山脈から流れる水が農業に活用されていました。
地上絵が灌漑(かんがい)や水路の役割を果たしていた可能性もありますが、地上絵の道が狭すぎるため、この説は広く受け入れられていません。
このことから、ナスカの地上絵は雨乞いの儀式に関連していたという結論に至っています。
天体との関連性
ナスカの地上絵に関する長期的な研究を行ってきたマリア・ライへは、これらの地上絵が太陽・月・星などの天体の位置を示すものだとの見解を示しました。
彼女は、天体の動きが時間測定の手段として利用されていたとする説を提唱しました。
しかし、地上絵と天体の配置が一致する例が少ないため、この説は限られた学者たちにしか受け入れられていません。
社会的事業の可能性
地上絵が描かれた時代、中央集権的な体制は存在せず、食料の管理は家族単位で行われていました。
そのため飢餓が発生すると、多くの命が失われることもありました。
そこで大量の労働力を必要とする『祭祀施設の建設』や『地上絵の制作』に従事する人たちへ食料を提供する体制を整えたのでは?と言われています。
祭祀の意味
- 祭りや祭典を意味する
- 当時の祭祀は、神や霊に対する奉仕・鎮魂・感・、祈願の儀式を含む
この説によると、ナスカの地上絵は祭祀儀式のための施設や活動として重要な役割を果たしていた可能性が考えられます。
ナスカの地上絵が消えてしまいそう?
ナスカの地上絵は、自然の影響や人間による損害により、消失の危機が高まっています。
約2000年前に描かれたナスカの地上絵は、これまで多くの年月を経て現代まで残ってきましたが、色々な問題を抱えているのも事実です。
自然の影響による変化
長年にわたる風の影響で、地上絵を形成する石の断片が色あせ、明るい色と暗い色のコントラストが失われつつあります。
人間による損害
ナスカの地上絵が発見されてから約100年が経過しましたが、特に過去50年間で人間の活動による損害が目立ちます。
地上絵への訪問者や地元住民の中には、文化遺産の保護意識が低いことが原因で、地上絵が傷つけられることがあります。
最近の破損事例
- 2015年9月:ある国際環境団体が、地上絵近くにメッセージを設置し、地上絵が足跡で荒らされました。この行動の目的は、国連会議に出席する各国代表に気候変動対策を訴えることでした。
- 2018年1月:貨物トラックが規制標識を無視して遺跡地帯に侵入し、地上絵の一部を破壊。100メートルにわたるタイヤ痕を残しました。
このように、ナスカの地上絵の保存を重要視する人々もいれば、軽視する人々も存在しています。
ナスカの地上絵の位置
ペルー共和国にあるナスカの地上絵は、南米大陸の一部で、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた特定の地域に広がっています。
この地域は乾燥した高原地帯であり、多様なデザインの地上絵がその地表に描かれています。
これらの地上絵は動物や植物・幾何学模様をモチーフにしたものです。
ナスカの地上絵の制作時期
ナスカの地上絵は約2000年から3000年前に描かれたと推測されています。
しかし、これらの地上絵が描かれた正確な時期に関しては、さまざまな学説が存在し、現在もはっきりとしたことはわかっていません。
これらの情報は、ナスカの地上絵が長い間変わらずに存在し続ける理由を解明する上での基本的な背景です。
ナスカの地上絵はなぜ消えない?まとめ
この記事では『ナスカの地上絵はなぜ消えない?理由5選』『ナスカの地上絵が作られた目的や現状』について紹介しました。
- ナスカの地上絵が消えない理由は『降雨量の少なさ・霧が発生する気候状況・独特な構造とその耐久性・野生動物が付近に生息していない・ドイツ人研究者による地上絵の保護活動』と考えられます。
- ナスカの地上絵の目的は『雨を呼び寄せる儀式・農業や水の儀式・天体との関連性・社会的事業の可能性』などの仮説があります。
- ナスカの地上絵は、自然の影響や人間による損害により、消失の危機が高まっています。
私たち現代人は、古代の人々がナスカの地上絵を描いた背景や動機を、遺された遺跡や痕跡からしか推測することができません。
人類の歴史が続く限り、私たちの現代もいずれは歴史の一部として語られる日がくるでしょう。
未来の人々が私たちの文化や生活様式をどのように解釈し、理解するのかは未知数です。
今を生きる私たちがどんな足跡を残すかを考え、意識的な行動をとることは、未来への責任ある一歩かもしれませんね。
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